中島 伸男
■中北村の妓王伝説
日本古典文学全集『平家物語』(小学館)の注釈には、妓王について「滋賀県野洲郡妓王村(現・野洲市)の出身で妓王井を掘って水運の便をはかったとも伝える」とある。
現在、野洲市中北のなかほどに浄土宗の宝池山妓王寺があり、小さな庵に妓王・妓女、そして彼女たちの母・とじ、さらにもう一人のヒロインである仏御前の4体の木像を祀っている。
妓王寺は尼寺で20数年前に庵主が亡くなり、現在では地元・中北の自治会が管理している。境内には妓王・妓女の塔とよばれる供養塔2基がある。
妓王寺の近くには、妓王屋敷跡と伝わる小さな広場もある。
妓王寺には、万治元(1658)年に編まれた「義(妓)王堂縁起」が遺されている。
これによると、妓王は仁平3(1153)年の生まれで、父は橘次郎時長(「時定」とも)といい江部荘司(荘園の管理者)であった。しかし、保元の乱で討ち死にし、妓王は妹・妓女、母とじとともに上京、のちに清盛に見い出されたとする。
江部荘(えべのしょう)は、堀河天皇御願・尊勝寺の荘園の一つで、野洲郡中北・永原・北の三ヶ村で構成される。
この江部荘三ヶ村を取り囲むように流れ、琵琶湖にそそぐ「妓王井川」とよばれる農業用水がある。義王堂縁起には、妓王井川は妓王が清盛に懇願し掘らせたものであると述べている。
■歴史上の根拠は…
かつて、NHKが大河ドラマ『平清盛』を放映した平成24(2012)年には、妓王寺をはじめ妓王ゆかりの地に、連日、大勢の来訪者があった。妓王寺では、野洲観光物産協会の職員が、案内役を務めていたほどであった。
では、確かに妓王は、野洲郡江部荘中北村の出生であるのかというと、「義王堂縁起」のほかには伝説を実証する史料はなにも存在していない。『野洲郡史』(昭和2年、滋賀県野洲郡教育会)も、妓王や妓王井川伝説について、「歴史上の根拠は全くないのである」との手厳しい文章をのせている。
『平家物語』は、仏御前について、「都に聞こえたる白拍子の上手、一人出で来たり。加賀国の者なり、名をば仏とぞ申しける」と述べている。しかし、妓王の出生地については何も語っていない。
中北など七ヶ村は、昭和30(1955)年、野洲町に合併するまで「妓王村」を名乗っていた。しかしこれは、明治22年の合併時に地元に存在していた妓王伝説にちなみ名付けたものである(当初は義王村、明治27年から妓王村と記す)。
ではいったい、どこから妓王の中北村出生伝説が生まれたのであろうか。







