国政刻刻 東近江市、市制20周年、おめでとうございます!! 水と緑と命の原点が見える東近江市のさらなる発展を!
いささか個人的な思い出から語らせていただく感傷を許して下さい。埼玉県生まれの私が愛知川地域に最初に出会ったのは今から51年前の1974年。大学学部生時代にアフリカ村落に住み込み、コップ一杯の水を片道4キロも歩いてとりにいく、その水の貴重さを知った。地球規模の水環境学を学ぶために、1973年にアメリカに留学。その時、指導教授が、「水と人間の関係を研究したかったら日本の水田農業を!」と方向を示してくれた。そこで愛知川下流部の琵琶湖畔の水田村落の水利用の仕組みを学ばせてもらった。その時自分で運転をして源流の愛知川上流部を辿った。当時から民俗学を学んでいたので惟喬親王ゆかりの木地師の故郷である永源寺も通りぬけた。
1981年に大学院を終わって、滋賀県立琵琶湖研究所に就職し、琵琶湖に流れ込む流域研究を始めた。滋賀県内流域それぞれに魅力があるが、心を惹かれたのが愛知川流域だった。鈴鹿の山に降った一滴の雨が森をぬけ田んぼを潤し、町を潤し琵琶湖に注ぐ。流域の成り立ちを理解するのに愛知川流域は奥深く、自然と文化の重層的な歴史が見えやすかった。そこで1990年代の琵琶湖博物館企画に「愛知川流域研究」を提案し、結果として愛知川沿いの彦根市本庄の湧き水を家に引き込んだ冨江家を琵琶湖博物館に移築・再現展示することになった。
そんな流域研究時、東近江市が2005年に誕生し、初代中村功一市長に誘われ、企画委員会に参加した。その時「鈴鹿の山頂から能登川の琵琶湖畔まで」東近江市の流域一帯の繋がりを見える化し、市民の自然学習を深め、誇りにしてくださいとお願いした。琵琶湖博物館がその先行施設となります。1市6町の東近江市はまさに「流域共同体」だった。
2006年7月に滋賀県知事に就任した後は東近江市の医療問題に直面した。2009年2月に誕生した西澤久夫市長とともに医療再編の仕組みをつくった。赤字で医師不足の病院、点在する複数の町立病院、これらを一体化して急性期、回復期、維持期の多様な市民ニーズに立体的に応えるために、滋賀医科大学と湖東記念病院に協力をしてもらい知事として汗をかかせてもらった。
2013年に合併3代目の小椋市政が誕生した。その後の功績は次回に語らせていただきましょう。そしてつい先日、4期目の小椋市政が誕生した。愛知川源流から生まれた市長が仕上げの市政を担当していただくこと、おおいに期待したいです。






