『モーツァルト 父の夢、子の夢』(12)旅の計画変更を強いられたモーツァルト
妻の死を受けてレオポルトは、絶望的な心境を息子に次のような文面で伝えた。「お前たち二人が旅立つ際に耐え忍んだことは、父さんの人生のこれまでの一切の悲しみを上回るものだった。おまけにさらに愕然とさせられた極めつけは、身体が不調で病身でありながらも荷造りと荷の積み込みに気を配り、心配と心痛で気が遠くなりながらも、絶えず階下の馬車のところでしなければならないことがあり、お前たちの旅立ちを前にして、お前たち二人と水入らずで、何かを話すことすらままならなかったことだ。そしてそうだったにもかかわらず、それが父さんが良き妻を見る最後になったのだ。そういうことで母さんの訃報が届き、これが二つ目の、もっと酷い打撃だった。いまはお前の幸せとお前の健康が私の尽きない心配なのだ。わが息子よ、そしてほかにも、父さん自身にはわからないが、そのような打撃をもう一発見舞われたとしたら、父さんは一巻の終わりだ!」妻の死に続き、息子に何かあったら人生の終わりと覚悟したレオポルトは、もはや息子一人の旅の継続は危険が大きすぎる判断し、旅の計画変更へと舵を切った。息子をもう一度ザルツブルクへ引き戻す決断をしたのだ。モーツァルトは滞在地パリが好きではなかったが、さりとて故郷ザルツブルクは、もっと嫌いだった。絶対に帰りたくなかった。「大司教にもう一度頭を下げるなんてまっぴらごめん」、頑なな気持ちになっている息子をどう帰還させることができるか、レオポルトは大いに悩み、息子を懐柔するための手紙を何度も書いた。「父さんはお前にすでに手紙を書いたが、ここでは皆がお前に再び会いたがっている。」「大司教は、胸中ではお前を抱えたがっているのは確かだ…」「お前はよもや、ここ[ザルツブルク]で手にできる確かなものを無視して、お前がここで生活の心配なく安んじて享受できるものと、お前がなすべきことを近くでなせるようにしてくれるものをないがしろにするという危険をあえて犯し、お前にとって厭わしいパリで、額に汗して、日夜心配しながら駆けずり回るつもりでいるのか。」「いまならまだ父さんはお前を助けることができるし、助けてやりたいし、助けなければならない。」レオポルトは、時にはおだて、息子の希望をかなえてやると約束し、時には叱責を重ね、さらに「脅し」に近い言葉で迫って、息子にザルツブルク帰郷を促した。用意周到な父親は、すでに大司教に息子の復職の許可を申請して、内々に許しを得ていたものと思われる。大司教がいつまでも待ってくれるはずがない、レオポルトは必死であった。
モーツァルト・バー「キール」
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