『芸術家としてのモーツァルト』伝記作家ニッセンの報告
ニッセンとコンスタンツェの出会い(1)
伝記作家ニッセンの書いた『モーツァルト伝』という本は、モーツァルトの基礎資料を提供してくれているにもかかわらず、世間ではそれほど知られていないが、ニッセン本人がモーツァルトの妻コンスタンツェと、彼の死後、結婚し、彼女からモーツァルトの生の情報を得る機会を数多く持っていたという点で、注目に値する本である。
それにしても、ニッセンはどうして未亡人となったコンスタンツェと出会う機会を得たのであろうか。まずはニッセンの略歴を紹介しなければならない。
ゲオルク・ニーコラウス・ニッセン(1761‐1826)は、現在のデンマーク、ハーデルスレヴ生まれで、コペンハーゲンで郵政関係の役人をつとめたあと外交官になり、公使館書記官としてレーゲンスブルクに赴任。1793年までレーゲンスブルクに滞在した後、ウィーンでデンマーク公使館に所属、1805年から1810年にかけて、代理公使を務めた。この間、1809年にコンスタンツェと結婚、1820年に隠退し、モーツァルトの伝記を書くためにザルツブルクに移住、1826年伝記の完成を待たず、当地で没した。(海老沢敏、≪ニッセンのモーツァルト伝とその周辺≫参照)
略歴にもあるように、1793年以降、ニッセンはウィーンにいた。実は、ウィーンでの滞在先として借りた場所が、コンスタンツェが提供した部屋だったのである。ニッセンは、当然、貸主のコンスタンツェがモーツァルトの元妻であることは承知していたはずで、しかも自らはモーツァルトの大ファンであった。一方、コンスタンツェは先夫モーツァルトに旅立たれ、息子二人の養育費などを含めた今後の生活設計を考えると、安定した収入の確保が喫緊の課題であった。息の合った二人はお互いを必要な人と認め、自然な成り行きで結婚という形式に収まった。もちろん、ニッセンには、大好きなモーツァルトの伝記を自らの手で残したいという野望があった。またコンスタンツェにしても、新しい夫が元夫の伝記を彼女の願う方向で書いてくれることは、願ったり叶ったりで、言わずもがな、新妻の手元には、伝記の素材となるモーツァルト父子の手紙が山のようにあった。こういう一次資料を使って伝記を書くことができるという優位性は、どだい、ほかの伝記作家には望みようもない。ニッセンが晩年を「伝記作り」に捧げたのには、こういう
事情があったか
らなのである。
モーツァルト・バー「キール」
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