『芸術家としてのモーツァルト』伝記作家ニッセンの報告
ニッセンの有利な条件と基本方針の弱点(2)
コンスタンツェの第二の夫となったニッセンには、モーツァルト直筆の手紙を自由自在に伝記資料として使用できるという、ほかの伝記作家には手も足も出せない、伝記を書くうえで圧倒的に有利な条件がそろっていた。それまでに書かれたモーツァルトの伝記類は、はやくも20種ほど出ていたが、ニッセンはまず、それらを逐一調べ、真の伝記と呼びうるに相応しいものは、2、3冊に過ぎないと喝破した。その他大勢はみな、ほかの伝記の引き写しに過ぎず、そもそも原資料に基づいていないからである。そして、彼が評価した数冊の伝記でさえ、決定的な弱みを持っていると言う。それらの作者は、モーツァルトの手紙を知らないし、それらを利用することができなかったからである。何しろ、手紙がないと、正確なデーターを得るすべがない。この世で本当の意味で原資料に戻づいた伝記を書ける立場にあるのは、自分以外にない。伝記を書くに際して、ニッセンはほくそ笑んだにちがいない。
資料収集が終わり、関係者への聞き取り作業も完了すると、残る作業は、それらを伝記にまとめるだけである。だが、この「まとめる」という作業が、そもそもニッセンのようなプロの書き手でない者にはひと苦労であった。伝記を書くにあたっての執筆の独自の基本方針がどうしても必要になってくる。そこで、ニッセンは著作に取りかかる前に、手紙引用の原則などを自ら決めることにした。しかし、ここでニッセンの基本方針における弱点が露呈した。もっともそれを弱点と感じるのは、現代のモーツァルト理解の到達点から見た話であり、ニッセンはいささかも自分の方針に疑問を抱くことはなかった。ではニッセンの決めた原則とは何か。
誤解を招くことを恐れず言うと、「真実を赤裸々に示す」ことは、当時存命していた人たちの人格攻撃になりかねないので、「秘匿されるべき事実は書かない」という原則である。ニッセンが伝記を書き始めた頃には、まだモーツァルト本人の関係者があちこちにいた。その人たちの手前、反発を食らうようなあからさまな事実は書けないのだ。ニッセンの伝記が後世の高い評価を受けないのには、そのような理由があるからなのである。ニッセンがもっと積極果敢な人で、トラブルを恐れず、真実を示すという姿勢を徹底できていれば、ニッセンの伝記が後世の研究の基準になったかもしれず、その点は誠に残念である。
モーツァルト・バー「キール」
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