嘉田氏3選不出馬の心象風景(中)
◇全県
「そりゃつらかったですよ。長男(38)の家では『おばあちゃんは辞めるべし』ばっかりだったでしょ。出馬しないことになり、ようやく孫らの顔が晴れて、正直、ホッとしました。家庭の平和がなにより大事ですから」。七日に三選不出馬を表明してから約一週間後の本紙取材で、嘉田由紀子知事(64)は母親の素顔をみせた。
平成二十三年、大津市の市立中学二年生だった男子生徒がいじめにより自殺した「大津いじめ事件」。嘉田知事の家族がいじめ事件に関係しているかのような事実無根のうわさをネットで書かれ、長男の子どもがいじめにあったのだ。
また選挙資金の問題もあった。平成十八年の一期目の知事選挙で退職金は返上する公約を掲げたため、このしわ寄せがずっと続いた。
寄付や政経パーティに頼らずに、嘉田家が選挙資金を全部出してきたからだ。さらに高島市の木材チップ事件も影を落とした。
「八年もやって与党の自民党を自分に向けられない政治家は失格や。知事は大統領制だけに、予算をつくる際に与党の県会議員や市長を巻き込まんといかんやろ」と長男は出馬に強く反対したという。
二人の息子の協力で研究者や知事を続けることができただけに、息子たちの言葉は重くのしかかった。
引導渡した武村氏
もう一人、嘉田知事に引導を渡した大物がいる。元大蔵大臣で元県知事の武村正義氏(79)である。
「二月終わりか三月初めごろ、友人の嘉田さんに誘われて食事をご一緒した。『まだ余韻(よいん)があるうちに、みんなから惜しまれて二期で辞めたらどうか』と申し上げた。この理由は、三期目のテーマを彼女は自ら見つけ出せずにいたことと、日本未来の党の失敗の二点だった。でも私が言う前から、嘉田さんは家族の反対があり、引退も視野に入れていたのには驚いた」という
このころから嘉田知事は深刻に迷い出す。
先月四日ごろ、武村氏を含め数人は嘉田知事と懇談したが、嘉田知事は「もうこれで終わりにして、辞めたい」と初めて本音をもらした。
「嘉田さんは三日月大造前衆院議員(42)に好意的だったが、(衆院で原発輸出に賛成した問題もあり)、この時点ではまだ後継者指名まで至らなかった」と武村氏は振り返る。
四日ごろを境に三日月氏への一本化は一挙に動き出す。武村氏らの呼びかけで同月十三日に「第一回嘉田県政を検証する県民の集い」が開催された。さらに二十六日には三日月氏を招いて第二回目、そして今月七日に三回目が開かれ、政策形成集団「チームしが」の結成と嘉田知事の不出馬表明が行われた。
最後まで迷いに迷うものの、嘉田知事には自ら作った引退の流れをひっくり返すことはもはや許されなかった。
(石川政実)







