4区
奥村 「世代交代より、経験が大事だ」
武藤 「真っすぐさにあの時代を見た」
坪田 教え子を戦場に送るな
曽我 体育会系だけに演説に迫力
4区候補者
武藤 貴也 自新 30
坪田五久男 共新 50
奥村 展三 民前<2> 65
曽我 周作 幸新 30
岩永峯一票の行方が鍵を握る(20日武藤の個人演説に駆けつけた岩永)
●弱者への優しさ
「市民革命だわ」。平成十八年七月二日、嘉田由紀子が知事選で初当選した時、上野雅代・元湖南市議(61)は小躍りして喜んだ。上野は、応援した嘉田の政治団体「対話の会」の事務局次長として、十九年から県議会会派「対話の会・びわこねっと」の政策スタッフになった武藤と合同会議などで顔を合わすようになる。
嘉田知事が二十年度予算編成にあたり、福祉・医療費の削減を打ち出したため、同会派による代表質問の原稿作成で心を痛める武藤の優しさに触れた。その後、武藤から四月の自民党の公募に応募したいとの相談を受けた。革新議員だった上野にとって、それは 、すべてを失うことを意味した。しかし、ひるまなかった。同月、民主と連携を深める「対話の会」の役員を辞職。七月には、武藤の大学院時代の友人らで「若い力で日本を変える会」を結成した。現在、同メンバーは銀輪部隊として活躍中だ。
六〇年代後半、長崎県立大の学生だった上野は、ベトナム反戦運動にも参加したが、武藤にあの頃の青年のまっすぐな姿を見る。それは、上野の「青春グラフィティ」でもあった。
●対話の会の塚本、武藤こき下ろす
「ライオン(奥村)が獲物をとるときは、全力でやる。たとえ相手(武藤)がどれほど弱くても、攻撃の手をゆるめない」と奥村陣営の選対事務長・西川勝彦県議(64)は、ニヤリと笑う。
二十二日、近江八幡市で開かれた奥村候補の個人演説会で“対話の会”の塚本茂樹事務局長(44)は「この衆院選では、対話の会は、特定の政党を応援しない。私は個人的に奥村候補を応援している。武藤候補は一年前に国会議員になりたいと、民主の徳永参院議員に相談しておきながら、自民党候補として立候補した。あんな政治家はだめだ」とこき下ろした。
奥村は同日、本紙取材に「武藤候補が“世代交代”を訴えているが、政治の混乱期に経験のない人がやっていけるのか。私は自、社、さきがけの連立政権を経験している」と珍しく声を荒立てた。
それは、“世代交代”の怖さを誰よりも知っているからだ。平成七年の参院選で、五十歳(当時)の奥村は、七十歳(同)の高田三郎元草津市長を倒した。その時のキャッチフレーズは、皮肉にも「五〇(歳)対七〇(歳)」の“世代交代”だった。
●思わぬ立候補
共産党では、4区の候補擁立については、当初の予定になかった。ところが政治資金収支報告書問題で自民前職の岩永峯一の引退に伴って、急きょ、共産新人の坪田候補は立つことになった。
元教師である坪田の四回にわたる国政挑戦を支えている信条は「教え子を再び戦場へ送るな」。大学時代は政治に関心はなかったが、初赴任したマンモス小学校の状況を見て「教育を良くしたい」との思いを強くし、政治の道へ進んだ。
また自身が農家だけに農業問題にも真剣に取り組んでいる。「米価が安くて精が出ない。現場は草抜き、肥料やりが大変で、後継者も生まれない。政治で変えないと」。
野口正浩・党湖東地区副委員長は「民主の追い風というが、米国とのFTA(自由貿易協定)締結方針で揺れる同党に怒りの声があがっている」と、農村部への攻勢を強めている。
●大学時代より日焼け
大学時代にソフトテニスに打ち込んでいた幸福実現新人の曽我は、学生時代を彷佛(ほうふつ)とさせるような真っ黒に日焼けした顔で、精力的に駅頭やショッピングセンターで街頭演説をこなしている。
「すでに公示二日目でのどがやられたが、最終日まで体調に配慮しながら乗り切り、無党派層へ支持を広げたい」とへこたれない。
若さに加えて、もともとが体育会系だけに演説も自ずと迫力が出てくる。「出陣式の演説は圧巻でしたよ」と同党関係者は、日増しに頼もしくなっていく曽我を見直していた。
(文中敬称略)【石川政実・高山周治】-連載終わり-





