日野町に続き県内2例目
◇湖南・甲賀市
滋賀県文化財保護協会はこのほど、甲賀市水口町地先の県道整備工事に伴う春日北遺跡の発掘調査で、古代末で貴重だった陶器「緑釉陶器(りょくゆうとうき)」を焼いた、平安時代中期(九六〇~九七〇年頃)の窯跡が見つかった、と発表した。
緑釉陶器窯が確認された例は全国で十例と少なく、県内では日野町の県指定史跡・作谷(つくりや)窯跡に次いで県内二例目。
協会は今回の成果として「構造の概略を確認できたことは、当時の窯業や供給先の一つである平安京と生産地との関係を考える上で貴重な発見といえる」としている。
見つかった緑釉陶器窯は、水口丘陵の南西斜面の裾野に築かれていた。規模は、焚口から奥壁まで長さ約二・七メートルで、製品を窯詰めして焼き上げる焼成室の長さは一・二メートル、内側の最大幅〇・九メートル。
焼成室の底面は、焚口の底面から一メートル高い位置に設けられてあり、焚口とたきぎを燃やす燃焼室、焼成室との間にも明確な段差があるのが大きな特徴だ。
焼成室の底全体をほぼ平坦にしているので、一度に多くの製品を焼くことができる。推定では、五個×六列くらいの焼台を置くことができ、一回でおおむね三百個くらいの製品が焼けたという。
窯跡の後側には、窯の構築粘土を採取したと思われる跡があり、そこから焼き損じの不良品などが出土した。大部分は緑釉陶器の素地と焼台・三叉トチン・色見などの窯道具で、釉薬をかけられたものは少数だった。このことから、大量に出る素地は、二度焼きするため持ち込まれたものではないかと推定される。
なお、緑釉陶器とは、緑色の釉薬(うわぐすり)をかけて焼き上げられた陶器で、国内では平安時代前期から中期にかけて製作された。
釉薬の原料である銅は当時貴重品であったことから、緑釉陶器は最高級品だった。このため、平安京や地方官衙(役所)などの公的施設や寺院跡などでしか使われなかったとされる。産地は限られ、京都、東海、近江が三大産地。近江では、野洲川と日野川の間に位置する水口丘陵、東近江市(旧八日市市)の布引丘陵に分布する。








