明治初年、国内の食肉を独占
◇県
明治~昭和前期の公文書を歴史文書として保管する県政史料室(県庁新館二階)は、展示「近代の近江牛~ブランドへの助走~」を開いている。
古来から人々は、牛を農耕や運搬の際に労働力として利用するなど、牛と深いつながりを築いてきた。また、江戸時代の近江は、贈答品として重宝された薬用牛肉の産地として名声を得ていた。
明治時代に入り、西洋文明による本格的な食肉文化が始まると、県内の牛商も東京をはじめとする各地に販路を拡大する。その過程には、文明の最先端である鉄道の利用など、近江に関わる人々の努力があった。
明治初年から同四十年代までの県内畜産業の沿革を記した「江州牛の沿革及び肉牛経済的調査の件」(明治四十三年)によると、東海道を陸路で運び、直接取引をしていた明治五年頃は、国内における肉牛移出のほとんどを滋賀県産が独占、と当時の県職員が評している。
また、東京までの官設鉄道(東海道本線)が敷設されると、交通インフラの利便性を生かして、明治二十五年頃からは鉄路で関東方面を中心に出荷するようになる。文書には、近江牛の一大産地である県東部の最寄り駅だった近江八幡駅が出荷の最前線となったことや、生産地を示す刻印が近江牛の名声を高める契機になったことを記す。
県政史料室は「当時の関係者の努力があったからこそ、滋賀県が明治初年から中期まで日本の食肉業の中心となり、それが現在の近江牛ブランドの原動力となったことが分かる」としている。






